あの日、高みへ導かれた

彼の名は

ノベルト・フェアノイアー。

玄関を開けて迎え入れてくれた瞬間、

私の全身を駆け巡るナニかを私は押さえ切れていたのだろうか。

(もう、ここ!もう絶対!今日絶対っ!!!)

ノベルト45歳、私23歳。

残念ながら、これは恋愛の話ではない。

木のおもちゃ作家になる!

そう決めたのは17歳だか18歳だか。

大学に入った時には、周囲にはいつもそう言っていた。

卒業を意識しだして、

日本全国の木工工房を訪ね歩いた。

どこか修行させてくれる工房はないかと。

インターネットのない時代、国会図書館でかき集めた大量のコピーを手に。

だけど、私の思い描く工房は見つけられなかった。

しかし!「木のおもちゃ」は存在している。

どこかで作っているのは事実なのだ!

そして浮上したのが「ドイツ」

よしっ!!!ドイツ行こっ😤😤😤

それで行けたら苦労はない。

たかだかハタチそこらの小娘に、

そんな易々と現実を渡られてたまるかっ!

と私でも思う。

結局、「2年だけ働く」と会社以外に告げて、一旦就職。

職種はおもちゃのデザイン。プラスチックだったけど。

2年間でやることは、

・作品をあと4つ増やす

・貯金を趣味にする  以上

この頃の私は、木のおもちゃ作家になるためなら、

犯罪以外なんでもやっただろう。

いつか体が爆発するのではと感じさせる、自分の内側で膨らみ続ける風船のようなものを抱えていた。

やりがいがあって楽しい仕事ではあったが、

あっさり2年で退職。

その1ヶ月後にはドイツにいた。

趣味で集めた貯金と、私の分身のポートフォリオを抱えて。

渡航前日。

全身の震えと涙が止まらなかった。悪寒ではない。

とうとう、とうとう、夢が叶う。

明日、飛行機に乗ったら夢が叶ってしまう(まだだけど)という、

興奮と恐怖。

ここまで突っ走ったけど、今からどれだけの未知に飛び込もうとしているのかと我に返ったのかもしれない。なんのアテもないのだから。

PCを開き、震える手で泣きながら家族に遺書のようなものを書いた。

それで師匠に出会ったのか?

いや、違う。

なぜならドイツに降り立ったその時点で、

私はドイツ語を全く解せなかった。

だからまず語学学校へ。

木のおもちゃのためならなんでもやるのだ。

4ヶ月。

趣味、ドイツ語。

語学学校は楽しすぎた。今でも仲間とはつき合いがある。

多国籍の仲間達からのインスピレーションを受けまくって、

ずっと彼らと学んでいたかった。

しかし!旅に出る。

4ヶ月の語学力で、ドイツ中を行脚した。

東におもちゃの街あれば 行って 目を皿にして工房を探し

西に作家がいると聞けば 行って 話を聞かせてもらい

南に会社を見つければ 手紙を書いて 様子を探り

北に学校があると聞けば 行って 入学案内をむさぼり読んだ

でも、なにも起こせなかった。

伝統工芸の職人になりたいわけではない。

会社のデザイナーになりたいわけではない。

どこを見ても、誰に会ってもピンとこなかった。

自分のオリジナル。

自分で考えたモノをデザインしてカタチにしたい。

それをやっている人に出会いたかった。

それをやっている工房を見たかった。

オープンチケットの期限が迫っていた。

このまま日本に帰るのか・・・?

この続きをやるために、出直してまた来る?

日本に帰ったら、なんらかの理由でいくらでも足止めを喰らうだろうと簡単に予想がついた。絶対にイヤだ!

未来への布石を置かずに帰国したら、

二度とドイツには戻ってこられないだろう。

趣味で集めた貯金も頼りなくなっている。

12月。

ドイツの冬は寒い。加えて暗い。

16時には日が暮れる。

絶望に拍車をかけるのにもってこいだった。

手元の情報をすべてひっくり返す。

なにか、なにかまだできることがあるはずだ。

あるパンフレットに目が留まる。

おもちゃのキッチンを作っているらしい。

おままごと用品には興味はない。

そんな既存のものを作りたいのではない。

デザインも普通だ。

でも、気がついたら、

その電話番号に電話をしていた。

私「私、日本人なんですけど、工房を見学したいんです」

男「来月だったらいいよ」

私「来週、帰らないといけないんです!!」

男「じゃぁ、、、今週末なら、、、」

私「明日とか、明後日とかどうですか?」

男「今クリスマス前でめちゃくちゃ忙しいんだよ」

私「失礼しました!!!土曜日にお伺いします!!!」

我ながらめちゃくちゃだ。

失礼も甚だしい。

そして訪ねて行った土曜日が

冒頭の出会い。

私の決意は固まった。

今日、話を付けないと絶対帰らない。

絶対!どうしてもここで、この人とっ!

もうそれは私の中で決定事項だった。

突然やってきた、失礼千万なアジア人の女の子。

ポートフォリオを見せ、

今までやってきた事、これからやりたい事、

そのためにやってきた事を話し、

だからここで修行させてくれっ!!!と言う。

あり得ん。

私なら追い払う。

パラパラとポートフォリオをめくっていた彼が一言。

「いいよ」

12月最初の土曜日。

私と師匠との始まりの日になった。

その1年後も2年後も

私はノベルトの工房で働いていた。

今なら知っている。

12月最初の土曜日。

その時期は寝る間もないほど忙しいということを。

ノベルトはあの日、私の為に半日時間を割いてくれた。

arumitoyでのお買い物が、どのように「森を100年後の子ども達につなげる」のかご覧ください。

あの日、高みへ導かれた”へ2件のコメント

  1. 小川修一 より:

    活き活きと生きてこられたのですね。
    そして、これからも。
    お話を伺い、なぜか、ホッとしている自分がいます。

    1. arumi-team より:

      お返事が遅くなってしまって申し訳ありません。
      何かに突き動かされて生きていた時代です。
      これからは、落ち着いた人生を希望します😆

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