人間関係に悩んだら、森のあり方で考えてみる
こんにちは。木工アーティストのあるみです。
先日、銘木総研株式会社さんの広報誌の取材を受けまして、
「しごとびと」のコーナー見開きで紹介いただきました。
記事は銘木総研さんのHPで全文読むことができます。
https://meiboku-souken.co.jp/public-relations-magazine/7917/
今年の夏あたり、私自身ちょっとした変化がありまして、
自分がなぜ木工をやっているのか、
なぜ森に惹かれるのか、
なぜ「いのち」について考えさせられるのか、
そんなことが、一本の線で完全に繋がる気づきがありました。
今までもなんとなく繋がってはいたのですが、
「なぜ」と問われると、明確な答えがあるわけではなく
ただ直感的に思った事に従っていたとしかいいようがなかったことに対して、
自分が納得できる説明がつきました。(後述します)
そんな気づきの後の取材でしたので、
今までとは応える角度が違いました。
一番伝えたかった事も、最後にちゃんと書かれていました。
わたしは、森と人間関係は同じだと思っています。人間関係に悩んだとき、森はどういう風に存在しているのかを考えます。森は様々な動物や植物・環境が共存し、許容されています。大人は絶対に避けて通るぬかるみも子どもはそれを喜ぶように、誰かが嫌がるものも、他の誰かが必要なもので、存在していて良いものなんだと木工を通して伝えたいんです。森のあり方を勉強したからこそ気づけたことを、作品やイベントを通じて発信していけたらと思っています。
広報こだまっこ インタビューしごとびと
『人間関係に悩んだら、森のあり方で考えてみる』
これは最近私が導き出した、私の座右の銘みたいなもんで、
私には、コレがめっちゃ分かりやすい。
記事にあるように、「ぬかるみ」一つ取っても、
避ける人もいれば、喜ぶひともいるわけで、
もっというと、ぬかるみは森の中の水脈が集まっている場所であって、
ぬかるんでいる事には意味がある。
それを否定する権限は誰にもない。
日の当たる場所では育たない植物だっている。
水が多すぎると枯れる子もいるし、
いのちが終わった肉体は、他の誰かにいのちを与える。
森の中って、本当に当たり前にお互いを許容しあって成り立っている。
人間は自然の一部でしかないんだから、
生き方やあり方は、大いなる森に見習うのが一番だと真剣に思うのです。
人間関係だけじゃなく、ビジネスとか、メンタルとか、フィジカルな問題も
私はこれで、ほぼほぼの悩みを解決できるようになりました。
この考え方にたどり着くために、
私はまず木工をやることで、「木はいのち」そのものであるっていう事を知る必要がありました。
次に、木のいのちは、森のいのちの循環そのものである事を知る必要がありました。
そして私は、「人のいのち」とはという現実に直面し、
人の営みと森の営みは同じ循環であるという気づきにたどり着いたのです。
生き方とか、いのちとか、そういう事が昔からやたらと気になるし、
自然のあり方に反する流れに生きづらさを感じていたのも、
ココに来るための導線だったのだと腑に落ちたのです。
ちゃんと導かれて生きてきた。
人生あとから答え合わせ。です。
たましいのおうち
最後にしてあげられることだから、自分たちで骨折って用意してあげたい。旅立った天使がいつでも帰って来られる家族としての居場所を。みんなの手が届く、心を寄せる場所を用意してあげたい。