自然が近くにないけど、自然に触れる子育てをする方法

自然に触れて育つってどういうこと?

子どもと遊びの専門家、

木のおもちゃ作家 あるみです。

プラスチックおもちゃや電子通信ゲーム、

スマホアプリなどの弊害を知れば知るほど

子ども達にはできるだけ、

自然に触れて育ってほしいと切に願うのは親心だと思います。

何を求めているの?

では、人工的なものに対する弊害から逃れるために

自然に触れさせたいのでしょうか?

自然に触れずとも、逃れる方法はないのでしょうか?

一体ナニを自然に求めているのでしょうか。

この漠然とした疑問は、

「では、どうなりたいのか」

と考えるとシンプルです。

自分で判断できる子

「かしこい子に育ってほしい」誰でもそう願います。

自然に触れて育てたいと思っている人は、

「かしこい」というのが「学校の勉強ができる」

という意味ではない事はご承知かと思います。

最終的に行き着くところは、

自分で考えて行動できる」人間になる

ことなのではないでしょうか。

「問題に対する答え」がほしいのではなく、

問題を解決できる能力」がほしいのだと思います。

結局のところ、

自分で考えられる人

自分で判断できる人

それが求められていると思っています。

そしてそれこそが、これからの世の中で必要とされてきます。

自然がもたらしてくれるもの

自分で考えられる人になることと、

「自然」とどう関係があるのかというと、

大いに関係があるのです。

ざっくり説明すると、

自然の中では、自分から考えて行動しないかぎり、

なにも起こらないということです。

森の中で、スマホゲームをしているところを

想像してみてください。

何も、起こりませんよね。

成長も見込めませんよね。

そういう事です。

自分から働きかけてこそ、

得られるモノがあるのです。

それが、「自然がもたらしてくれるもの」なのです。

それでやっと本題です。

自然に触れる子育てをする方法

自分で考えないといけない状況を作る

・すぐに飽きる

・応用が利かない

これらは自分で物事を考えていない子の特徴です。

考える必要のない環境がそうさせています。

いわば、考えない習慣が身についているということなので、

その環境を整えてあげることが解決法です。

手っ取り早く、今すぐにできる事としては

「自分で考える」ことを邪魔しているものを無くすことです。

勝手に動くおもちゃ、スマホアプリ、テレビ、インターネット動画、、、

完成されたものは、「考える」余地を与えてはくれません。

本来、子どもは「考える」事が大好きです。

考えて行動する事は、好奇心の探求に繫がるからです。

好奇心の探求は、

向上心、達成感を満たして自己肯定感に繫がります。

では、成長に合わせて、

どんな環境を整えてあげるといいのでしょうか。

乳幼児期の環境

0〜3歳ぐらいまでは、木のおもちゃで遊ばせてください。

木のおもちゃはシンプルすぎて、自分で考えないと楽しく遊べません。

この時期のその行為は五感も刺激します。

自分で考える習慣を付けたいのなら、

この時期は最重要です。

(木のおもちゃがいいと言われる理由の詳しい記事はこちら

あかちゃん期に自然のものからの刺激に慣れること、

考える習慣が身につくこと

これがすべての素地になります。

電子系の刺激に慣れてしまうと、

成長につれて、より強い刺激を求めることになります。

ただ「反応」を繰り返すだけの脳ができあがります。

まず感性は育ちません。考える力も身につきません。

ちょっと私的な話になりますが、

我が子が1歳、保育園へお迎えに行った時のこと。

保育室でワイワイ遊んでいた子の一人が

動かなくなったおもちゃを

ナゼか私のところへ持ってきて、

「動かない」と言います。

プラスチックのおもちゃ、

見ただけで電池切れだと分かります。

そして

「電池ない!」

と言い捨てて行ってしまいました。

私は軽いショックを受けました。

まず、1歳児が「電池」という言葉を知っていることに驚き、

そして、動かないおもちゃは、もう「用がない」ものと見なしていること。

我が家にはそういうおもちゃがなく、初めてみる反応でしたので。

その時に、普段の環境がいかに思考に影響するのかを知った気がします。

ちなみに我が子は今でも自分の遊びが、電池に左右されることはありません。

唯一、キーボードを除いては。

幼児期の環境

外で走り回れる年齢になったら、

迷わず連れ出して、走り回らせましょう!

できれば森の中がいいけど、

そういう環境がないからこのブログを読んでいるんですよね。

近くに自然がない!

でも、遊歩道ぐらいならありますか?

並木道やちょっと木が多めの公園なら?

神社やお寺はありますか?

まずは身近な木を求めて歩いてみてください。

お子さんと、何も持たずに、

木から木へと歩く。

「あそこの木まで歩こう」

「次はどの木まで行く?」

断言します!

絶対に淡々と歩きませんから。

子どもって絶対に何かを見つけます。

小さな石の一つでも拾ったら、

なんでそれを拾ったのか聞いてみてください。

いちいち聞いてみてください。

子どもにされると困る「なんで」攻撃をしてみてください。

その子の感性が分かります。

何に反応するのか。

何が気になるのか。

最初は、大した答えは返って来ないかも知れません。

でも何度も聞いていると、

帰るころには、ちょっとした物語の一つでもできていますよ。

実はそういう会話から、お子さんのタイプや適性が分かったりするのですが、

この話はまた改めて書きます。

話が逸れましたが、

大きな自然がなくても、

木の下には色々落ちているものです。

毎日宝探しの気分でやってみてください。

この時期に、好奇心の探求を覚えると、

「考える」事が当たり前になります。

その後の子育てがぐっと楽になりますよ。

ちなみに、

外で拾ったものを家の中に入れたくない

お母さんあるある。

我が家は、玄関横に「ジャンクボックス」を設置しました。

(かわいい植木鉢でしたけど)

外で拾った大事なモノは、ココに入れるルール。

玄関の一等地に置いてあげます。

そして絶対に子どもの聖域を侵さない。

尊重してあげる事で、満タンで入らなくなって捨てる時も、

自分なりの理由を付けて葬っていました。

就学以降の環境

小学校に入ったのなら、もう、子ども扱いしない事です。

自分で考えないと、何も始まらない環境にする。

そしてその行動を尊重する。

「自分で考えて出した答えなら、それでいいよ」

と言ってみてください。

それがどんなにデンジャラスであっても、

とりあえず見守ってみる。

命に危険を及ぼすか、他人を傷つける可能性がないのなら、

黙って見守るのです。家の中でも外でも。

我が子は小学校3年生にして、自分のお弁当を自分で作ります。

事の発端は、母(私)の作るお弁当が少ない!という理由からです。

どうすれば、お腹いっぱい食べられるのか考えた末、

自分で作るという答えを出してきました。

夏休み中、毎日ギュウギュウに好きなモノばっかり詰め、

満足しておりました。

ため息でますが、感心しました。

余談ですが、9月給食が始まったとき、

「あぁ!お弁当がないと・・・楽だねぇ〜!

としみじみ言っておりました(笑)

これからの時代に身につけるべきもの

今後、AIと共に生きていかなければいけない世の中で

必要とされてくるのは、

コミュニケション能力」と「想像力

そして「自己肯定感」。

自分を大切にできる人は強いです。

なぜなら、

それらはAIが持ち合わせていないから。

AIができる事はまかせておけばいいのです。

張り合ったってかなうわけないのですから。

ムダな戦いはしなくていい

AIと勝負しないかわりに、

私達は「人間」として与えられた能力を

それなりの深さでいつでも引き出せるように、

きちんと身につけておく必要があります。

しかしながら時代の流れで、

幼少期におもちゃに遊ばれている環境下では

これはまず育めない能力になってしまいました。

何度も説明している通り、そんな環境では

自分で考える必要が無いからです。

自分で考えないとAIに負ける

おもちゃに遊んでもらっているという状況は、

脳の機能でいうと、

「反射」を繰り返しているだけということです。

「ある刺激」に対しての「一定の行動」です。

要するに自分で考えて動いていないので、

応用が利かないということになります。

昨今、

言われた事しかできない社会人が多いのもこのためです。

プログラムされた事をこなすのは

AIの専売特許ですよ。

勝負してはいけません。

でもこれは今日言って、明日から!というように

スグに変えられるものではありません。

ですから、

幼少期の環境がとても要になってくるのですね。

要するに家庭が環境

私は月に一度、小学生と森で活動をしています。

できればすべての子にそういう環境を体験してもらいたい。

森が教えてくれることは無限にあるからです。

でも、森がないとどうにもできないわけではない

ということをお話しさせていただきました。

小さな頃から自分で考える事ができれば、

自分で考えて判断できる人間になれるのです。

自然に触れた子育てをしたいのは、

そういう人間になってほしいから。

それには、幼少期の環境がいかに影響するのかという事です。

例え近くに大きな森があったとして、

小さな頃から毎日遊びに行ったとして、

横でお母さんがずっとスマホをいじっていれば、

大きな森は何ももたらしてはくれません。

それよりは、

小さな一本の木の下で、

日々のたわいのない会話の方が

よっぽど脳に刺激を与えます。

自分で考える力を持っていれば、

いづれスマホを持つようになっても、

通信ゲームをやるようになっても、

AIと並んで仕事をするようになっても

自分を見失うことはありません。

ウチの場合はどうすればいいの?

近くに木が一本もない!

神社もお寺もない!

という方、どうぞメッセージをください。

その環境で何ができるのか、一緒に考えましょう!

arumitoyでのお買い物が、どのように「森を100年後の子ども達につなげる」のかご覧ください。