ドイツ生活の総括
11月3日、ボス家の次女ノーラからメールが届きました。彼女からは頻繁に手紙やらe-mailやらを受け取るんですが、毎回、あるみ氏がいなくなって今日で何日目と書かれているんです。そして今回は365日目でした。そうでした。もうあれから1年経ってしまいました。あの朝、長女レーナとノーラの登校を見送った後、フランクフルトへ行きドイツを去りました。そのまま、ニューオーリンズのスーパーフレンド、ジェフェリーのところで10日間遊んだ後、帰国したのでした。1年も経ったとは思えません。ボス達とのお別れも、昨日のことのように鮮明に思い出せます。涙だって出てくるぐらい。
少しは前に進めているのかと問われれば、1歩か2歩は進んだんじゃないかと思うんですけど、まだもう少し時間がかかりそうです。その前に過去のことをしっかり消化して吸収しないといけないと思いました。
あるみ氏にとって、ドイツ生活の2年半は今までの人生で一番「濃い」時間でした。だから2年半すべての時間を鮮明に覚えているし、とても大事にしています。かなり貴重なことをしてきたと思っています。ドイツに行って、帰ってきて、何を得たかと言えば、具体的には「友達」です。しかも多国籍の。語学学校時代の友達とは、もう3年以上会えてない上に、みんな別々の国にいるので、今後会える可能性だってないに等しいけれど、未だに仲良ししてます。最初はコミュニケーションをとるだけで大変だったのに。(笑) 多種多様の人種が一度に集まるというのは、本当に面白いんです。めちゃくちゃですけど、その3倍面白いです。優とか劣とかあるわけなくて、好きなことを好きなように言いますし、やります。だけど所詮、みんな人間なんです。おんなじです。ベースは人間で、そこに文化だの習慣だのというお国柄がかぶさって、さらに個性がトッピングされて、もうそれはそれは、はちゃめちゃです。だから楽しいんですね。みんながみんな、同じことを考え、思い、行動したら、気持ち悪いです。狭くってちっぽけな人間ばっかりの集まりになってしまいます。大事な個性がなくなってしまいます。だから人種が交わるといういことは大切な事なんだと学びました。いつかこのことについて、ジェフェリーと話したことがあったけど、彼もおんなじ様なことを言ってましたっけ。
ドイツ生活で得た抽象的なものはといえば、「相手を理解しようとする力」です。恥ずかしながら、ドイツへ行く前はほんの少ししか持ち合わせていませんでした。言葉が通じない状態ではまず必要になりますが、そんな表面的なことだけでなく、内側の問題です。相手の個性を理解しようとすることです。そうするといろんな事が分かってきます。分かり合えるようになるんです。こうやって得たドイツの仲間達はみんなみんな、今すぐにでも会いたい人ばかりです。でも、これはドイツだからでも、外国人だからでもなく、誰にでもどこででも言えることなんですよね。日本にいてもおんなじです。こういうことに気づくことができたのは、全く別の環境に身を置いていたからでしょうね。だから貴重な経験だったと言えるんです。みんなにありがとうって言いたいです。海外の仲間達も日本の友人達も「帰る場所」を与えてくれてありがとうって思います。
人間って個性があるから本当に興味深い生き物だと思うんです。おとなでもこどもでも。もっともっと個性を活かしてのびのびできないもんだろうか・・。といつも思います。日本にいてちょっとだけ寂しいのは、「みんないっしょ」がマイナス方面に影響していることです。みんなでのびのび生きたいなぁ。
「個性的。」ステキな言葉だと思うんですよね。arumitoyであそんだ子が個性的な子に育ってほしいな。
(update 2004.11.05)