この道に至るまで。

そもそも、なんで木のおもちゃづくりをするようになったのか。
するようになったと言うよりは、これをやりたいが為に、ずっと進んできたと言った方が正しいです。要するに、本当は他の事をやっていたけど、こっちの方が面白そうだから本格的に始めたというような、偶然の産物的な生き方ではないんです。
でも本当に最初から「木のおもちゃ」だった訳でもないんです。一番初めは工業デザイナーになりたかったんです。高校1年生の冬ぐらいでした。当時は遊園地の乗り物をつくりたい!と思っていたんです。こどもが喜んでくれるものをつくりたかったんです。でもそれはちょっと大きすぎて自分の手にはおえなさそう・・と思ったので、もう少し小さいものを考えました。そして思いついたのがデパートの屋上とかにある、100円でゆらゆら揺れるあれです。愛らしいデザインで、ちびっこの人気者だからです。それに乗りたいが為に、デパートの屋上に行きたくなるようなあの、「ゆらゆらの乗り物」をつくりたい!と思うようになりました。でも、それってデザインはできるけど、自分の手でつくれないじゃなーい!ということに気が付いて、もっと小さくて、しかも自分でつくれる物にしよう と考えた結果、木のおもちゃにたどり着いたのです。お気に入りに出会うために遊園地やデパートに連れて行って~とおねだりしなくても、いつもそばにいるよ。一番近くにいるよー。って言えるおもちゃをつくりたいと思いました。いつでもお気に入りと一緒にいてほしい。それが原点です。
その頃は短大生になる頃でした。デザインを学びながら、すべての課題に「こども」というテーマを勝手に結びつけ制作をしていました。実習でつくった作品で今も残っているのはこども部屋用の「いす」です。現役であるみ氏の補佐役を務めています。幾度の引越しにも見捨てられず、今日までついてきています(笑) 当然の事のように卒業制作は「木のおもちゃ」でした。あるみ氏第一号の木のおもちゃはかせきごっこと名づけられ、今ではarumitoyのカオです。(1999年卒業)
さて卒業ということは、社会人になるということです。あるみ氏はドイツに行きたかったんです。日本にいて収集できる情報は数少ないものでしたが、どうもドイツが引っかかる。木のおもちゃとドイツはどういう関係なんだろう。なんで輸入おもちゃの大半がドイツから来ているのか。ドイツはそんなにすごいのか?何がすごいんだ?すごいんだったら行ってみたいな。見てみたいな。修行してみたいな。と思うのはいとも簡単でした。しかしながら、貧乏学生にそんなお金があるわけがありません。しかたがないので、とりあえず就職することにしました。就活をしたのは卒業の1ヶ月前でした。それまで卒業制作にすべてを捧げていたので、何も考えていなかったのです(笑)
でも、まあ何とかなるもんで、おもちゃの企画開発、デザインの会社に就職できました。ドイツ行きの軍資金集めに2年だけ働くゾ!と会社以外の人達に告げて、働きました。その間も、自分の作品を増やすべく、がんばりました。この2年間のノルマは資金調達とオリジナル作品を5つつくる事でした。オリジナル作品5つとは、ドイツに行ったときに、自分の作品を見せる必要があると思ったからです。実際ドイツではポートフォリオ(作品集)をもって旅をしていました。なぜ2年なのか、なぜ5つなのか、今となっては、ナゾでしかありません。当時は念仏のようにそう言ってましたっけ。それから本当に2年だけ働いて、(2年2ヶ月)プツっと辞めてしまいました。
でもその時点で本当にドイツに行く事は考えてなかったんです。とりあえず、ぼーとしてみようと思っていたのですが、その1ヵ月後にはドイツにいました。2001年7月でした。ビザなしで行ったので3ヶ月で帰ってくるつもりでした。3ヶ月だけ語学を勉強しに行ったつもりが、行ってみると、なんと現地でビザがとれることが分かり、気が付いたら5ヶ月に延長していました。そんな訳で、腰をすえてドイツ語のお勉強をすることにしました。4ヶ月だけ。ABCから習いました。本当にちんぷんかんぷんだったのに、4ヵ月後にはドイツ語でおもちゃめぐりの旅をしていたんです。こうなったら、ドイツで修行しなきゃ、ここまで勉強した意味がない!ということで、ドイツ中をうろうろと、修行受入先を探しました。あそこに何かあると聞けば、どんな山の中でも行きました。(実際なにもなかったけど・・)そうこうしているうちに、5ヶ月が経とうとしていました。帰国の期限が迫っていました。結構ブルーな時期でした。このままどうにもならなかったら、日本に帰って何をすればいいの?って。そんなある日、日々、おもちゃ屋さんなどで集めていたおもちゃのカタログを見て、ある工房に電話したのです。来週帰国しなきゃいけないんだけど、会って話を聞いて欲しい。って。先方はびっくりしたでしょうに。唐突すぎますからね。だって想像してみてください。ある日見知らぬ外国人から、会ってくれ、しかもすぐに!って電話がかかってきたら、唖然としません?電話切っちゃいそうですよね。でも、話の分かる人でした。約束の日に飛んでいきました。自分が誰で、何を考えていて、何をやりたくて、どうしてほしいのか。片言のドイツ語で説明したんです。だまって聞いていたおもちゃ職人は、「ここで修行させて!」というあるみ氏に対し、「良し!」と言ってくれました。それがあるみ氏とボスとの出会いです。2001年12月でした。
2002年1月から一年間ボスの下で修行を始めました。ボスの仕事を手伝いながら、空いた時間であるみ用のおもちゃを開発する日々を過ごしました。2002年の9月のある日、ボス夫婦に誕生日に何がほしいかと聞かれ、思わず、ここに長くいられる許可が欲しい!と言ってしまったんです。応えは「好きなだけいろ」だったので、早速ビザ延長の戦闘態勢に入り、さらに1年間の延長が認められたのです。結局、ボスの下で2年間お世話になりました。2年たった時点で、まだ延長することは可能だったのかも知れませんが、次の段階に進もうと思って、帰国する事にしたんです。(2003年11月)
そして、久々の日本生活が始まりました。日本で、自分のアトリエを持つため帰国し、頑張る事にしました。それから4ヶ月、工房にできる物件を探し回りました。なかなか見つかるものではありませんでしたが、今思えば、ドイツで修行受入先を探す方がよっぱど大変だったな・・・。そうして、やっと2004年3月に京都府の加茂町にアトリエをオープンさせることができました。
そんな訳で、あるみ氏はずっとずっとこれがやりたくて、歩き続けているのです。
(update 2004.10.26)