『いのちについて考える』YouTubeで対談しました。
庵治石(香川県)の産地で山から石を切り出して、「お墓さん」を作っておられる森重裕二さんの番組に呼ばれて、いのちについて対談しました。
森重さんとは20年来の友人でして、出会った頃は小学校の先生でした。
とある出来事がきっかけで、水辺で遊ぶ子ども達のいのちを守る『子どもたちにライジャケを!』という活動をされています。
ライジャケってライフジャケットのことです。
わが家もアウトドア大好きで、ライフジャケットを着けて生身で流されるというマニアックな遊びをするために毎年夏は川でキャンプしています。
ライフジャケット付けていれば、とにかく水からカオが出せるので悲しい事故を防ぐことができるんですね。森重さんの活動の成果で、今年の川ではライジャケ人口が8割ぐらいに増えてました。ようやく常識になりつつあります。
森重さんは教師をしながら真剣にこの活動をしつつ、ある時、教師を辞め石屋さんになりました。今はいのちを守る活動と、いのちを繋いでくれたご先祖様にひたすら手を合わせることに向き合っています。
右も左も分からない石業界に飛び込んで、とにかくご先祖様に手を合わせ続けることで人生が大きく変わってきたと言います。
手を合わせ続けることと、たましいのおうちと向き合い続けることは最終的に同じところに辿り着くよね。という話になりました。
いのちに向き合い続けてきた森重さんの流れと、出産祝いを作り続けて、たましいのおうちを作るようになった私の流れがすごく似ていて、違う道から同じ所に辿り着いているのがとても面白い対談になりました。
話をする中で共通したのは、日常生活の中でこういうハナシをする場所がないということ。死があまりにもタブー扱いで、話したくても話せないどころか、話題にするものではないという空気感すらありますよね。
でも実はみんな、いろんな想いを抱えているっていうのを、私達は日々目の当たりにしています。こういう活動をしている私達を相手にすると、みなさんめっちゃしゃべり出すんです。どこかで自分の中から出すっていう作業が必要だとヒシヒシと感じました。そんな場を作りたい。
たましいのおうちのクライアントさんは、完成までの時間の中で、強制的に亡くなったいのちと向き合う時間が訪れるわけで、その時間の中で癒されていくのですが、見えないからこそ向き合う時間というものを意図的に作らない限り、自分の中に閉じ込め続けることになると思うんです。それを昔はお墓参りとかお仏壇とかに『手を合わせる』っていう行為で担ってきたんだと思うんです。
死がもっと身近だった時代は生活の中にお墓もあったのに、切り離されてしまったものだから、今は死との向き合い方を体得する場所がないのが現実なんだと思います。
わが子を亡くした直後は、誰だって悲しくて辛い。生きているのがイヤだし、なんで私だけ?という感情に支配されますけど、たましいのおうちと向き合い続けていると、最終的に亡くなった子に対して感謝でしかなくなるんです。
そして、お墓参りで手を合わせる時に言う言葉って「ご先祖様いつもありがとうございます」なんですよね。
同じですね。
視聴者さんからこんなメッセージが来ました。
「たましいのおうち、仏壇と神棚の両方の長所を持っている気がしました」
日本人は元来、見えないものや自然に対して敬意を払う民族だと思います。お日様、お月様など護ってくれている存在に「様」と付けるように、私は亡くなった子も同じポジションだと思っていて、わが家では息子だけど神様扱いです。だから困った時の神頼みももちろんします(笑)
上で護ってくれている存在はみんな神様だと思います。
お墓も、お仏壇も、たましいのおうちも役割としては同じで、向き合う時間や対象を持てることが尊いなと思います。日本人は本当はずっとそうやって生きていたんだと思います。
