「たましいのおうちの物語」作者として読書会にお呼ばれしてきました。

こんにちは。木工作家のあるみです。

先日、地元の小学校での読書会に呼ばれて行ってきました。

地域にまつわる本に親しむというテーマで、地域の事が書かれている本や、地元の人が書いた本などをみんなで(保護者も一緒に)鑑賞する会でした。

何冊かの本の中から、読んでみたい本がある教室に行くスタイルで1年生から6年生まで、興味を持ってくれた子たちが集まってくれました。

私は『本を書いた人』として教室にいたのですが、この、目の前にいる子達が、「たましいのおうちの物語」に興味を持ってくれているというだけでカンゲキしました!

 

PTAの方や保護者が交代で読み聞かせをしてくれました。

しかしこの本、普通に音読すると10分ぐらいかかるんです。長いんです。

みんなめっちゃ真剣に聞いてくれていたのですが、ちょっとした角度で絵が見えなくなったりすると、一年生あたりの子達がゴソゴソし始めて集中切れるんですね(笑)

読み聞かせ用の大型絵本とか、紙芝居とかが存在する意味がよく分かりました!

大変勉強になりました。

 

 

とは言えそんな一年生も、読み聞かせが終わった後に感想を求められたら、勢い良く真っ先に手をあげて、

「かなしくなった・・・」

って発言してくれました。かわいい!

物語の誰かに共感してそんな気持ちになったんだなぁ〜と、ちゃんとお話しを聞いてくれていた事が嬉しかったです。

 

 

作者としてお話しする時間が少しだけありました。

『この物語は、いまこの瞬間にもあなたの知っている人の事かもしれません。明日にもこの登場人物の誰かになるかもしれません。これからの人生でその可能性は100%です。だからこの物語を書きました。

どうすればいいのかなんて誰にも分からないけど、悲しい出来事にしなかったブナの家族と森の仲間達の様子が、いつかみんなのヒントになるといいなと思っています。』

 

 

この読書会では、児童達が読んだ本の感想を葉っぱに書いて、大きな木を完成させます。読めば読むほど、木に葉っぱが茂っていきます。

 

 

「たましいのおうちの物語」を読んでくれた子達の感想もいっぱい茂りました。

一生懸命書いてくれて嬉しかったので、全部全部読ませていただきました!

ステキな感想もいっぱいあったので、一部紹介します。

 

 

「ちょっとかなしくなったけどおもしろかった。木でつくってたのがすごかった」

「おかあさんやふたばちゃんや森のみんなになったときにどうすればいいかが、分かったと思います。」

「いのちについてたくさん知れました。すごいと思ったところは木の絵が全部手作りのところです。」

「少し不思議なお話だったけど少しずつ命のお話しだと分かってきた。登場人物は木でできているということがびっくりした。」

「もししょうらいこのお話しのとうじょう人物のだれかの立場になっても前向きにいきようと思います。」

「最初悲しい話だと思っていたけどだんだんと悲しくなくなって良かったです。」

 

先生や保護者の方々からも、「感動しました」「泣けました」「なにかあったときに読み返す本にいたい」とご感想をいただきました。

うしろでそっと涙を拭かれている保護者さんもいらっしゃいました。

生きていれば必ず訪れる、大切な人とのお別れ。

悲しい出来事にするかどうかはあなたが決められます。

 

子ども達の感想、宝物にします。ありがとうございました!

 

 

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『いのちについて考える』YouTubeで対談しました。

庵治石(香川県)の産地で山から石を切り出して、「お墓さん」を作っておられる森重裕二さんに呼ばれて、いのちについて対談しました。

森重さんは20年来の友人でして、出会った頃は小学校の先生でした。

とある出来事がきっかけで、水辺で遊ぶ子ども達のいのちを守る『こどもたちにライジャケを!』という活動をされています。

ライジャケってライフジャケットのことです。

わが家もアウトドア大好きで、ライフジャケットを着けて生身で流されるというマニアックな遊びをするために毎年夏は川でキャンプしています。

ライフジャケット付けていれば、とにかくカオが出せるので悲しい事故を防ぐことができるんですね。森重さんの活動の成果で、今年の川ではライジャケ人口が8割ぐらいに増えてました。ようやく常識になりつつあります。

森重さんは教師をしながら真剣にこの活動をしつつ、教師を辞め石屋さんになりました。今はいのちを守る活動と、いのちを繋いでくれたご先祖様にひたすら手を合わせることに向き合っています。

手を合わせ続けることと、たましいのおうちと向き合い続けることは最終的に同じところに辿り着くよね。という話になりました。

いのちに向き合い続けてきた森重さんの流れと、出産祝いを作り続けて、たましいのおうちを作るようになった私の流れがすごく似ていて、違う道から同じ所に辿り着いているのがとても面白い対談になりました。

 

話をする中で共通したのは、日常生活の中でこういうハナシをする場所がないということ。死があまりにもタブー扱いで、話したくても話せないどころか、話題にするものではないという空気感すらありますよね。

でも実はみんな、いろんな想いを抱えているっていうのを、私達は日々目の当たりにしています。こういう活動をしている私達を相手にすると、みなさんめっちゃしゃべり出すんです。どこかで自分の中から出すっていう作業が必要だとヒシヒシと感じました。そんな場を作りたい。

たましいのおうちのクライアントさんは、完成までの時間の中で、強制的に亡くなったいのちを向き合う時間が訪れるわけで、その時間の中で癒されていくのですが、見えないからこそ向き合う時間というものを意図的に作らない限り、自分の中に閉じ込め続けることになると思うんです。それをずっとお墓参りとか手を合わせるっていう行為で担ってきたんだと思うんです。

昔は死がもっと身近だったし、生活の中にお墓もあったのに切り離されてしまったものだから、今は死との向き合い方を習得する場所がないのが現実なんだと思います。

わが子を亡くした直後は、誰だって悲しくて辛い。生きているのがイヤだし、なんで私だけ?という感情に支配されますけど、たましいのおうちと向き合い続けていると、最終的に亡くなった子に対して感謝でしかなくなるんです。

そして、お墓参りで手を合わせる時に言う言葉って「ご先祖様いつもありがとうございます」なんですよね。

同じですね。

今回の私達の対談では、ここに行き着きました。

視聴者さんからこんなメッセージが来ました。

「たましいのおうち、仏壇と神棚の両方の長所を持っている気がしました」

日本人は元来、見えないものや自然に対して敬意を払う民族だと思います。お天道様、お月様など護ってくれている存在に「様」と付けるように、私は亡くなった子も同じポジションだと思っていて、わが家では神様扱いなのです。だから困った時の神頼みももちろんします(笑)

上で護ってくれている存在はみんな神様です。

お墓も、お仏壇も、たましいのおうちも役割としては同じで、向き合う時間や対象を持てることが尊いなと思います。日本人は本当はずっとそうやって生きていたんだと思います。

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